本田宗一郎のことば

工場経営断想

(1953.S28.5 月報 本田宗一郎)

 

 

一、理論の尊重

 私の会社では工場経営の根本を理論の尊重に置く。しかも、こと会社の業務に関する限り理論を尊び合理的に処理する。正しい理論こそ古今を通じて誤らず、中外に施してもとらず、普遍妥当な時間と空間に制約せられないものである。

 

 第二次大戦を敢えてし、敗戦の悲惨を満喫させられた原因は「命令のいかんを問わず」とか「宮の楷額(きざはし)づけば厚い涙がこみあげる」「そうだその意気その気持ちを」とかいったアメリカの技術や物量を無視し、生産力を正当に評価し得なかった没理論の精神主義にあった。

 

 当時「一生懸命」が尊ばれたが、単なる一生懸命は何ら価値がない。否、誤った一生懸命は怠惰よりもかえって悪い。一生懸命には「正しい理論に基づく」ことが欠くことを得ない前提条件である。

 

 たとえば人事関係にしても、清水次郎長が、大政、小政を使った封建的な親分子分的方法では近代工業は成り立たない。

 

 理論に基づく各人のアイデア、すなわち創意工夫を尊重するところに進歩発展がある。人間の肉体的労働力は二十分の一馬力に過ぎない。人間の価値は物事を理論的に考え合理的に処理する知恵と能力に比例する。わが社に新しさがあるとすれば、それは従業員の年齢の若さもさることながら、時空を越えて常に新しい理論を尊重するからである。わが社の今後の進歩と発展は、一に懸ってより一層理論的であると否とにある。

 

二、時間の尊重

 多くの人は事業の要素を、資本、労働、経営の三者に求めるが、今一つ重要なファクター、すなわち時間のあることを見落としている。どのように優れた工夫や発明でも、必要なときに提供せられなければ何らの価値もない。「六日のあやめ、十日の菊」は商品価値は零である。

 

 創立日なお浅く、資金も乏しく、設備も充分とは言えないわが社が、自動二輪車工業界において現在の地位を占め得たのは、アイデアの尊重とともに時をかせいだからである。

 

 来年の今頃は、現在わが社で作っている程度の製品を作る同業社がないとは言えない。必要な時に間に合うことが絶対条件である。息を引きとってから到着したのではいかなる名医も藪医者に劣る。

 

 莫大な建設費と多量の燃料とを要する英国のコメット機が、ロンドン―東京間の所要時間を二十七時間だけ縮めるために、旅客機として実用化されていることを考えれば思い半ばに過ぎるであろう。

 

 経済と距離の時代は去った。現代においては、経済と距離は時間に置き換えられたのである。

 

三、能率の尊重

 能率とは、プライベートの生活をエンジョイするために時間を酷使することである――と私は考えている。二宮金次郎の像のように、山坂路を歩くというような、二重、三重の苦労を忍んだり、朝は早く、夜はおそく、昼食の時間まで惜しんで、働くために働くことを能率なりとする考え方や、生活を楽しむことを罪悪視する戦時中の超克己主義は、能率の何たるかを解しない人の想見である。

 

 平清盛は落日を呼び返そうとしたと聞くが、二十四時間は一秒たりとも延ばすことはできない。一定の時間の中により多くの自己の生活を楽しむためには、働く時間を酷使する他に方法がない。私は自己の体験から、創意発明は天来の奇想によるものでなく、せっぱつまった、苦しまぎれの知恵であると信じているが、能率も生活を楽しむための知恵の結晶である。

 

 殊にわが社のようにオートバイやバイクモーターを製造するメーカーにあっては、需要者の要求と、資材の調達、機械加工の諸過程、組立完成作業を見通した優れた技術者のアイデアが、数千人の肉体的労働に勝る能率を挙げ得るのである。かような根本的アイデアとともに、動力や機械を用いて一定の時間内に、最良最大の仕事をなし遂げようとする頭脳の工夫が能率の根本である。

 

 私の会社でどしどし優秀な機械を買い入れるのも、自家発電設備までして電気を使うのもこのためである。

 

 すなわち能率は、現代において人間的な生活を営むための必須条件であって、この能率の要素として私は次の三つを挙げる。

一、タイム

二、マネー

三、プライド

である。

 

 いかに時間に余裕があっても、金が無ければ生活を楽しむことはできず、またどのように金があっても、時間に余裕がなければ生活を楽しむことはできない。

 

 しからば、金と時間とがあれば生活を楽しむことができるかと言えばそうではない。時間と金だけが能率の条件であるならば、泥棒をしたり、詐欺をしても構わぬはずであるが、これは、人間としての誇りが許さない。正々堂々と正しい方法によって十分な収益を挙げ、金と時間とを作り、税金もなるべくたくさん納め、自分は事業を通して国家社会に貢献しているという誇りを得て、初めて能率的であると言えるのである。

 

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