本田宗一郎のことば

失敗の教えるもの

(1965.S40.7 やまと弘報 本田宗一郎)


 若いときは二度とないんだから、仕事は思いきってやってもらいたいなあ。若いうちの失敗は会社が危なくなるほどの大きな失敗ではないからな。若い頃、何もせず、ひっこみ思案のままでいて、年とって責任ある地位についてから失敗すると、今度は会社が危なくなっちまう。

 ウチはそのため、入ってくるとすぐ仕事をさせるんだよ。やはり、実地に「見たり」「聞いたり」「試したり」がいちばんいい。試して失敗して、「俺はどうして失敗したんだろう」ということで考え、その理由に気づいたときがいちばん身にしみるんだ。

 俺は小さい頃、そうだなあ小学校二、三年のとき、石屋のじいさんがお地蔵様を彫っていたんだな。俺は、そのお地蔵様の鼻のあそこをなおせば俺のイメージにピッタリだと思って、無性になおしたくなった。そこでじいさんがいないとき、ノミをとって「チンチン」とやったら鼻がポロリと落ちてしまったんだよ。こんなことをするのは本田の宗一郎だってわけで指名手配されてしまったけどな。(笑)

 しかし、鼻がポロリと落ちたとき、俺は初めて「悪いことをした、これから二度とこんなことをやってはいけない」ということを、先生にも親爺にも教えられないで自分で悟ったね。

 これは一つの例だけど、みんなも、こんな経験はあると思う。失敗するのがこわいんだったら仕事をしないのがいちばんだ。君達が定年で会社をやめるときは、「皆さんのおかげで大禍なくすごすことができました。」というような、バカな挨拶をせんでもらいたいな。昔、殿様につかえた家老の自己滅却の生き方だよ、それは。和気あいあいの中で「お前はいろいろ失敗もしたが、だけど、こんな大きな仕事もしたじゃないか」と誇れるような生き方、-これが充実した人生だと思う。

 失敗はしてもよい。だが、二度と同じ原因で失敗しないようにしなければいけないね。これが肝心な点だよ。

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