本田宗一郎生誕100年記念祭

郷土の偉人 本田宗一郎生誕100年記念祭

主管: ポンポンCLUB

期間: 平成18年11月4日(土)~26日(日)

会場: 浜松市天竜壬生ホール 展示ギャラリー                  

 

エコランに出場したカーチス号がお出迎えしてくれました

 

サスペンションは竹を削って製作されていました

凄いものづくりを観させていただきました

1966/RA273

排気量が1500ccから3000㏄に規格変更され、第七戦イタリアGPから出場。 新開発の90度V型12気筒エンジンを縦置きに搭載。 (No18 R・ギンサ-) 

水冷4サイクル90度V型12気筒 2992㏄ 400ps以上 10、500rpm

最高速350km以上  車重650㎏ 軽合金モノコックボディ 

1966/RA273

1954/ DREAM 4E

'53年、軽2輪車の規格が250ccになったのに適合させ、E型を220ccに拡大。単気筒ながら左右2本エキゾーストマフラー装備の豪華なスタイルで人気を得た。

 

1954/ ジュノオ

主要諸元

エンジン :強制空冷4サイクルOHV単気筒K型189cc、KA型・KB型220c.c.

最高出力 :K型7.5HP/4,800rpm、KA型・KB型9.0HP/5,500rpm

 

1955/Benly JB-Type ベンリィ JB型

 

1959 / RC160

ホンダ初のDOHCフォア。'59年浅間で開催の第3回全日本オートバイ耐久レースに5台が初出場。他を圧倒する走りで上位を独占した。(優勝車 No.163 島崎貞夫) 250cc4気筒。

 

1961/RC145

エンジン形式 空冷・4ストローク・2気筒  ボア×ストローク φ44×41mm

排気量 124.68cc  動弁方式 DOHC  気筒当たりバルブ数 4

圧縮比 10.5:1 キャブレター形式 ピストンバルブ 最高出力 24ps / 14,000rpm

最高回転数 15,000rpm 最高速度 180km/h 変速機段数 6

 

1963 /RC113

'63年日本GPデビュー。

'64年世界選手権ロード、第5戦ダッチTT50ccクラス優勝。

1963 / RC164

'63年世界選手権250cc、トランジスター点火やカム変更など改良を加えた最終型の250cc4気筒。ダブルタイトルを獲得。(アルスターGP優勝車 No.1 J.レッドマン)

 

1963 /RC113

フロントブレーキハブパネルのエアーダクト

 

NO3 1967 / RC174

'67年世界選手権ロード、350ccクラス8戦7勝。マニュファクチャラーズ/ライダーズチャンピオン獲得。DOHC6気筒エンジン搭載。(マン島TT優勝車 No.3 M.ヘイルウッド)

奥のブルー

1954/R125

昭和29年国産車として初めて海外に遠征した、E型エンジン搭載レーサー。

エンジン 空冷4サイクル単気筒OHVプッシュロッド

排気量 125cm3

最高出力 6PS(推測値)変速機 摺動噛合式2段

サスペンション(前) ガーターフォーク

サスペンション(後) リジッド

1967 / RC174

'67年世界選手権ロード、350ccクラス8戦7勝。マニュファクチャラーズ/ライダーズチャンピオン獲得。DOHC6気筒エンジン搭載。(マン島TT優勝車 No.3 M.ヘイルウッド)

 

1967 / RC174

'67年世界選手権ロード、350ccクラス8戦7勝。マニュファクチャラーズ/ライダーズチャンピオン獲得。DOHC6気筒エンジン搭載。(マン島TT優勝車 No.3 M.ヘイルウッド)

 

マン島TTレース、ライダー谷口尚巳氏入賞トロフィー

 

日本人で初めてマン島の切手になりました。

 ライダー谷口尚巳氏

谷口尚巳氏のコーナー

1959年マン島TTレース 日本人初の入賞を飾った谷口尚巳氏のコーナーです。

 

谷口氏使用のツナギ

美しいスタイル

寄せ書きパネル

カブF型

白いタンクに赤いエンジン。当時、自転車に取り付ける為のKITとして発売。

エンジン単体

本田宗一郎氏の似顔絵

入賞作品の数々

 

ほんだそういちろうさんゆめをありがとう

 

やらまいか、試す人になれ等のコメントが…

 

微笑ましい作品

 
 

18年度入賞作品の展示

 

素敵な絵がいっぱいです

 

大空への夢

HONDA JET

カラフルなオートバイ

 

一等賞の本田宗一郎氏

 

仲間と飲んでいたアルコールが入っていたドラム缶

 
 

61年前のドラム缶

【説明】

昭和20年疎開先の本田さち夫人の実家(現 磐田市)で、自分の進むべき方向を見定める「人間休養」中、知人の紹介で購入した。ドラム缶に入ったアルコールを仲間と飲み明かしながら将来展望を見据えていた歴史あるドラム缶です。

当時飲む時は、ドラム缶の口にホースを入れ、吸って飲んでいた。