藤澤武夫のことば

暖炉の灰

(1972.S47.11 社報 藤澤武夫)


最近、どこの家庭でも暖炉を焚(た)くことはないようだが、私はこれが好きだ。火に対する一種の郷愁があるからだ。


私の家に初めて暖炉が入ったのは世田谷に家を構えたときだ。そのときは日本人の建築家が作ってくれたのだが、そうとう奥行きの深いもので、かなり奥へ入らないと燃せなかった。あまり手前で燃すと、煙が暖炉の外側にまで出て部屋中大変だ。そうかといって奥の方で燃すと、火がすべて上へ上がってしまい、ちっとも暖かくない。


次に六本木へ家を引っ越したときには、外国人が設計を担当してくれた。今度は奥行きが非常に狭い。これでは家中が煙だらけになって困るのではないかと思ったが、案に相違して煙は家の中にでなかった。しかも、ずい分暖かい。


この二つの暖炉の差は、暖炉を生活の一部として使ってきた外国人の知恵と、それを単にデザイン的な観点から作った日本人のとの違いにあるのだろう。


私が暖炉に火を燃しはじめてから、かれこれ十年になる。しかし本当に燃し方のコツがのみこめたのは昨年だった。九年目にしてはじめて火の焚き方、火の動き方というものが分かったことになる。


もっとも、火を燃すこと自体が難しいというのではない。火を燃すことだけなら誰だってできる。問題は、いかに黒い灰を飛ばさない、あるいは残さないで火を燃し、まっ白い灰だけにするかということだ。白い灰は完全に燃えつくしたものだけに、非常に量が少ない。私が自分自身で十年間も暖炉に火を焚いてきたのは、単に暖をとるたげではなく、火への郷愁からでもあるが、結果からみると、いかにしたら、この白い灰だけを残すことができるかというコツを得るためだったようだ。


白い灰だけを残すには、薪の置き方、新聞紙の大きさ、丸め方、薪自体の性質など、慎重の上にも慎重を重ねなければならない。


それが万事うまくいって、白い灰だけがきれいに残っているような朝を迎えたときは、なんともいえないすがすがしい感じがする。


暖炉一つとってみても、ほんとうにいきた使い方をするまでには、こんなにも時間がかかり、それ相応の準備も必要なものなのだ。