TOP・TALKS 藤澤武夫
TOP・TALKS-先見の知恵
ホンダは、昭和五十八年九月二十四日。創立三十五年を迎えました。この創35記念事業の一環として、ここに「TOP・TALKS-先見の知恵」と題する一冊の本を刊行することになりました。
この本は、創業者である本田元社長、藤沢元副社長、そして河島前社長が、三十五年間にわたって社内向けに書かれたり、発言された言々句々を収録したものです。ホンダマンにとって、この語録は今日のホンダの存在を可能にした、先輩達の思想と知恵、夢と努力の結晶であり、また同時に明日への糧となるであろうことを期待するものです。
時代によって思想も変われば、考え方も変わってきます、ですから、ここに記された思想、知恵、夢をそのまま受け継ぐのではなく、先輩達の考え方の中で納得できるものをみんなで分析して、いいものだけをとりだしてほしい、と願っております。そして、新しい思想、知恵、夢をみんなの努力の中から創り出していくことを心から期待しております。
(昭和59年2月 発行にあたっての挨拶 社長 久米是志)
出 典:本田技研工業株式会社 発 行 「TOP・TALKS」より
藤澤武夫のことば
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六有斎(1952.S27.1 月報)
- 作っても作ってもなおたりぬメーカーが驚くこの需要(1952.S27.5 月報)
- 科学に応(こた)えて(1952.S27.8 月報)
- 多角的な判断力を養え(1954.S29.4 明和報)
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惚れるということ(1954.S29.11 葵弘報)
- 新しき年を迎えて(1955.S30.1 社報)
- 無から有は生じること(1955.S30.2 社報)
- 処女地を切り拓かん!(1955.S30.3 社報)
- ありがとう(1955.S30.4 明和報)
- S・P・Bの講習を受けて(1955.S30.9 社報)
- 火燵(こたつ)(1955.S30.11 やまと弘報)
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成人の日に寄せて(1956.S31.1 社報)
- 万物流転(1956.S31.4 社報)
- 会社の現状から(1956.S31.5 社報)
- 今後の生産計画(1956.S31.8 社報)
- 企業安定の底にあるもの(1956.S31.8 社報)
- 一九五七年への期待(1957.S32.1 社報)
- ドイツから帰って(1957.S32.3 社報)
- 色彩の及ぼすスピード感への影響(1957.S32.12 社報)
- 自惚れの戒め(1958.S33.1 社報)
- 人の叱り方(1958.S33.1 社報)
- みんなが経営者だ(1958.S33.9 社報)
- 当社の社会的評価(1959.S34.2 社報)
- 鈴鹿製作所にかける期待(1959.S34.11社報)
- 研究所のあり方について(1960.S35.6 社報)
- 企業の自主性の価値(1960.S35.8 社報)
- 桑の根っ子を抜かないようにしよう(1961.S36.4 社報)
- 苦しむということは、ひとつの財産だ(1961.S36.6 社報)
- 別個のものを組合み合わせ、新しいものを創りあげる(1961.S36.9 社報)
- 本田技研の進む道(1962.S37.6 社報)
- 強く逞しく考えよう(1963.S38.1 社報)
- 飛躍への原動力(1963.S38.8 社報)
- 壮年の力を持った企業に(1963.S38.12 やまと弘報)
- 伸びる大企業へ(1964.S39.1 社報特別号)
- 私達の選んだ道(1965.S40.1 社報)
- 四輪への道(1965.S40.10 社報)
- 世界をリードする仕組みを(1965.S40.11 社報)
- 不況のはなし(1966.S41.1 社報)
- 近代産業への道(1966.S41.11 社報)
- 人間感情の尊重を(1967.S42.1 社報)
- 松明(たいまつ)は自分の手で(1967.S42.12 講演録)
- 全体が立ち上がる一つの組織図ができた(1968.S43.7 社報)
- 今年の顔(1969.S44.1 社報)
- 禍いを転じて福とする(1969.S44 社報特典号)
- 燃えつづける心(1971.S46.1 社報)
- 学ばねばならないもの(1971.S46.11 社報)
- 暖炉の灰(1972.S47.11 社報)
- 歴史はくり返すというが…(1973.S48.6 スズカ弘報)
- 学んだこと、思うこと(1973.S48.9 監督者弘報特別号)