昭和29年3月20日に社内向けに公表された『マン島TTレース出場宣言文』を紹介します。

マン島TTレース出場宣言文

宣 言

 

 わが本田技研創立以来ここに五年有余、画期的飛躍を遂げ得たことは、全従業員努力の結晶として誠に同慶にたえない。

 

 私の幼き頃よりの夢は、自分で製作した自動車で全世界の自動車競争の覇者になることであった。しかし、世界の覇者になる前には、まず企業の安定、精密なる設備、優秀なる設計を要することはもちろんで、この点を主眼としてもっぱら優秀な実用車を国内の需要者に提供することに努めてきたため、オートバイレースには全然力を注ぐ暇もなく今日におよんでいる。

 

 しかし今回、サンパウロ市における国際オートレースの帰朝報告により、欧米諸国の実状をつぶさに知ることができた。私は現実に拘泥せずに世界を見つめていたつもりであるが、やはり日本の現状に心をとらわれ過ぎていたことに気がついた。今や世界はものすごいスピードで進歩しているのである。

 

 しかし逆に、私の年来の着想をもってすれば必ず勝てるという自信が昂然と湧き起こり、持ち前の闘志がこのままでは許さなくなった。

「絶対の自信を持てる生産体制も完備した今、まさに好機至る!明年こそはT・Tレースに出場せんとの決意をここに固めたのである」

 

 わが本田技研はこの難事業をぜひとも完遂し、日本の機械工業の真価を問い、これを全世界に誇示するまでにしなければならない。わが本田技研の使命は日本産業の啓蒙にある。

 

 ここに私の決意を披瀝し、T・Tレースに出場、優勝するためには、精魂を傾けて創意工夫に努力することを諸君とともに誓う。右宣言する。

 

昭和二十九年三月二十日

              本田技研工業株式会社  社 長  本 田 宗 一 郎

マン島TTレース関連商品の紹介

マン島TTレース出場宣言が従業員に対し公表されたのは、1954年の3月20日でした。

本田宗一郎氏の意を十分にくみ取った藤澤武夫氏が、自ら文案を練って書き上げた宣言文でとても素晴しい文章です。

横書きの社内向けと、縦書きの社外向けの二つが書かれました。

 

横書きの社内向け宣言文

1959年社報より

ホンダの創業者・本田宗一郎さんをモデルにしたと言われている映画

妻の勲章

1959年

映画の一場面

『世界のランキングを求めて』

 

1961年度世界グランプリ・レースは、近年にない素晴しいものでした。

何故ならばいままでヨーロッパ・モーターサイクルの独り舞台であった世界グランプリ・レースに、遠い日本からはるばるホンダ、スズキ、ヤマハの3チームが参加し、全レースを通じてすばらしい戦績をみせたからです。

 

いままて日本でモーターサイクルが生産されていることすら知らなかったヨーロッパの多くの観衆にとって、それはまさに驚異でした。

人間にとって常に新鮮な血液が必要なように、新しいレーシングマシンを持った日本チームの参加は、世界のモーターサイクル界に大きな刺激と感銘を与えました。

 

 

 

以上、世界のランキングを求めての発刊に寄せて  

国際モーターサイクリスト連盟 会長 P.J.ノーティア からのコメントです

1961年12月21日

 

 

この『世界のランキングを求めて』に付属されているソノシートは1961年5月14日に西ドイツグランプリの様子が収録されています。

 

数少なく大変貴重な本ですのでお持ちの方は大切に !