クルマの大学病院の確立を目指す

HONDA SF

サービスファクトリー(SF)

1964年(昭和39年)四輪への本格進出にあたり、販売とサービスを分離し、双方の能率を高めるため、AHSF(オールホンダサービスファクトリー)を全国8工場でスタートし、15年で全国238工場、214拠点、従業員も3400人に拡大した。

 

1984年(昭和59年)国内のサービス機能・国内パーツ供給機能とホンダSFが統合され、(株)ホンダサービスが発足した。

 

1987年(昭和62年)(株)ホンダサービス(HSG)のサービス部門を本田技研に集約、二輪の部品・用品は二輪代理店が、四輪・汎用の部品・用品は部品販売会社が卸業務を行なう体制に刷新。HSGはホンダ部品サービスと名称を変更。

 

ホンダ SF 

 昭和三十三年、ホンダは50CCのスーパーカブを発売、大変な人気を博し、オートバイメーカーとしての地位を確固たるのもとする礎石を築くことになる。そして三十五年には、スーパーカブの量産工場として、鈴鹿製作所を発足させる。

 

 ちょうどその頃から、貿易自由化の傾向が出はじめ、通産省はわが国の企業の国際競争力をつけさせる意味合いから特定産業振興法案を打ち出そうとしていた。これは、自動車、電機、石油化学などといった特定の産業を指定して、独占禁止法で制限されている合理化カルテルを認め、各種の特典を与えて国際競争力をつけさせようとしたものであった。とくに乗用車については企業の提携、車種の制限など新規のメーカーの参入を抑制するような内容が具体的に示されていた。

 

 そこで四輪車への進出を考えていたホンダは急いで四輪を手がけ、法案が成立するまでに自動車メーカーとしてのスタートを切っておこうとした。そして昭和三十七年十月、第九回全日本自動車ショーで軽トラックT360とスポーツカーS360を公開し、四輪進出を発表した。ホンダの四輪進出は内外に大きな反響を巻き起こした。

 

 この四輪にかけ込んで行く時点で、ひとつの大きな問題は四輪販売体制であった。とくに修理サービスは最大の問題であった。

 

 そこでこのサービス問題の対応策として出来たのがSF構想であった。

 

「当時のホンダの販売店は二輪車店、極端に言えば自転車店だったのがほとんどてした。だからサービスという重要な部門まで二輪の販売店に期待するのは無理でした。整備のためのスペースはないし、技術力もありません。また、四輪を手がけていただくためには店構えもしっかりしなければならないし、とにかく、人・物・金すべてに大変であったわけです。しかし、ホンダとしてはそうしたお店に従来からの政策同様たくさん売ってもらいたいわけです。そこで、どうしたら既存の販売店にうまく売ってもらえるのか、いろいろ掘り下げて検討したんです。その結果として、メーカーでSF(サービス・ファクトリー)なるものをつくり、販売店にかわってサービスをおこなうというSF構想が出来たのです。すなわち、販売店には売りに専念していただき、ホンダをお求めのお客様には安心してお買い求めいただくという〝業販システムの支援組織〟として、サービスの面から拡販に寄与するものをつくろうと考えたわけです。当然のことながら、トヨタや日産がやってた大規模ディーラー方式も考えたわけですが、あくまでホンダ独自の販売網作りをやるんだという考えのもとに、業販支援のSF構想が出たんですね」 (馬渕ホンダSF社長)

 

 このSF構想は昭和三十六年から全国ホンダ会の協力のもとに検討が開始され、二年後の昭和三十八年十月に、埼玉県熊谷市に二輪車を対象にテスト工場が設置された。そして翌年九月、東京・大阪など全国六地区に、倉庫を改造した臨時SFが誕生し、四輪整備を始めた。その年の十二月には、全国八地区(押上、白子、熊谷、札幌、名古屋北、寝屋川、福岡、仙台)に新工場が完成し、本格的に稼動を開始した。ホンダのT360、S500の発売は昭和三十八年八月と十月であった。

 

 

ホンダSFの歩み

1963年

昭和38年09月

36年より検討に入っていたSF構想がまとまる。

昭和38年10月

埼玉県熊谷市に二輪車を対象にテスト工場設置。

1964年

昭和39年02月

埼玉県和光市に四輪車を対象にテスト工場設置。

昭和39年12月

全国8地区に新工場が完成し、本格的に稼働開始する。(押上、白子、熊谷、札幌、名古屋北、寝屋川、福岡、仙台)

1965年

昭和40年12月

SFの建設が進み、この年10工場が稼働に入る。(長野、浜松、岡山、熊本、松山、池上、鈴鹿、小田原、名古屋南、大宮)

1966年

昭和41年09月

各工場の会計、総務事務と品質管理の集中管理を始める。

昭和41年10月

これまでの四輪に加えて、新しくE・F・Gのサービスがスタートする。

1967年

昭和42年01月

名古屋北工場が、SFで初めて陸運局指定工場となる。

昭和42年11月

工場建設が急ピッチで進み、全国で100工場を超える。

1968年

昭和43年04月

SF組織を改正し、全国を19ヶ所に分け地区管理制度をとる。

昭和43年10月

組織変更し、全国を5ブロックに分ける管理体制をとる。

昭和43年12月

フロントマン研修が工場長・代行・班長クラスに順次実施される。

1969年

昭和44年04月

新入社員1,000名がSFに入社、総従業員数3,600名となる。

昭和44年05月

全国のSFを5ブロックの株式会社に統合する。(延べ資本金3億4千5百万円)

海外サービス第1回派遣、フランス、ドイツに3名。

昭和44年06月

来場台数、月間10万台を突破する。

昭和44年10月

営業所、ホンダ中販との連携を強化する目的で、「地域リーダー制」を実施。

1970年

昭和45年04月

サービス活動の充実化のため、東京地区を皮切りに訪問サービスがスタート。

昭和45年06月

地区ごとに工場長研究発表会を開催する。

昭和45年07月

新しい部品供給方式(RS方式)を展開。管理上の無駄を省き、効果を上げる。

1971年

昭和46年04月

オールホンダをあげて(100%定期点検)促進キャンペーンを展開。

昭和46年07月

無災害・無事故日数を競う「安全コンクール」を実施する。

昭和46年09月

専門職資格制度スタート、第一回の認定により35名の技術主任が誕生。

昭和46年10月

イメージチェンジの一環として「ビックスマイルキャンペーン」を実施。

1972年

昭和47年09月

第3回オールホンダアイデアコンテストにSFが初参加「SFカー」が入賞する。

昭和47年10月

現場で直面してている問題をテーマに、全国で班長研究発表会開催される。

昭和47年12月

増資により延べ資本金13億円となる

1973年

昭和48年03月

10月の軽自動車の車検実施に向けて、車検サービスキャンペーン実施。

昭和48年04月

二輪専用診断装置が完成。東京・押上工場に設置。

昭和48年09月

特殊認定資格工場が5工場になる。ボディ整備体制が一層充実する。

昭和48年10月

軽自動車の車検がスタート。SFの各工場は万全の体制で臨む。

二輪の定期点検キャンペーン実施。お客様に対するPRに力を入れる。

1974年

昭和49年04月

SF海外派遣制度が発足。124名のSFマンが応募。

昭和49年10月

お客様との対話に力を入れる狙いで対話キャンペーン実施。

昭和49年11月

第1回SF芸術祭の全国審査会開催。

1975年

昭和50年01月

フォード・サービス開始。HISCOのフォード車販売に伴いSFの52工場がフォード指定工場(FD拠点)に

和50年04月

特約店さまへの有効なサービスに応援活動全国展開おこなう。

昭和50年08月

第1回「SF高校生留学」開催される。開催工場数は全国21工場、留学生約170名。

昭和50年09月

ホンダSF海外派遣制度にて選ばれた13名が海外ディーラーへの2ヶ年間の派遣始まる。(フィリピン、カナダ、ブラジル、オーストリア、サウジアラビア)

1976年

昭和51年03月

新部品物流システム発足、全工場を地域環境や保持する部品機能によって「拠点」「販売」「消費」の三つに区分する。

ユーザー管理の充実を目指し、全国共通のユーザーカードとオートファイルを採用。

昭和51年05月

中古車販売支援を目的とする「中古車加修全国ホンダSF統一保証制度」実施

昭和51年11月

環境保全委員会発足。

1977年

昭和52年06月

本田技研二輪営業所の委託によるSF二輪巡回マン制度開始。

昭和52年09月

ホットユーザー紹介キャンペーン全国的に展開される。

1978年

昭和53年01月

本田技研工業(株)からの出向者が復職又は転籍を完了する。

SF関連商品の紹介

ホンダSFの工場で使用されている工具類にこのエンブレムが貼ってありました。

ホンダSFの販促品 充電器です。

ホンダのアイデアコンテストで出品された物が商品化されました。セルモーターを利用してジャッキを電動で動かす工具です。

ホンダSF弘報No.27訪問サービスカーが表紙に載っています。(静岡県Y氏提供)

ホンダSF弘報No.73の特集号です。芸術祭と題して社員が書いた絵画や色々な作品が紹介されています。(静岡県Y氏提供)

全国のホンダSFの場所の住所や地図が紹介されています。当時の販売車両には車検証入れに入れていました。

部品配送の心得本、物流に携わる関連企業にも配布された本です。

パーツリスト表示機種名と打刻型式対照表84年2月版です。当時のパーツセンターから発行されました。

ホンダ純正ウルトラオイルのパンフレット

ホンダ純正ウルトラオイルのパンフレット

ホンダSFの封筒

ウルトラオイルスタンド

販売店に提供していました。

マイクロフィルムパーツリスト検索

ホンダSFのメカニックが着ていたツナギです。SF出身のT氏から大切にしているツナギを提供して頂きました。

 

訪問サービス用のストライプ柄を探しています!!

本田宗一郎さんが下田SFを訪問したときに書いてくれた色紙

-富士のY氏より写真の提供をしていただきました。

SF従業員募集のチラシ

社員募集チラシの裏は履歴書になっています。

記入欄

日曜日に箱根にドライブの途中で沼津SFによってくれた本田宗一郎氏(静岡県E氏提供)

本田宗一郎氏とハイチーズ!!(静岡県E氏提供)

沼津SF立ち上げのときに使用していたキャップ(静岡県Y氏提供)