みんなのホンダ資料館

 多くのホンダOBの方々のお力を借りて集めたささやかなコレクションではありますが、製品や資料を形として残すことでHondaの『チャレンジ精神』を語り継ぐお手伝いが出来ればと考えています。

■本田宗一郎氏の略歴

・明治39年(1906年) 11月17日、静岡県磐田郡光明村に生まれる。

・大正11年 4月、東京本郷のアート商会に自動車修理工として入社。

・昭和3年 独立し、浜松にアート商会支店を設立。

・昭和8年 磯部さちさんと結婚。

・昭和14年 東海精機重工業の社長に、ピストンリングの製造。

・昭和21年 本田技術研究所設立。自転車用補助エンジン開発。

・昭和23年 本田技研工業を設立し社長に、従業員34人。

・昭和24年 オートバイ「ドリーム号」開発。

・昭和27年 自転車補助エンジン「カブF」発売。

・昭和33年 「スーパーカブ」を発売し大ヒット。

・昭和34年 米国に販売会社「アメリカン・ホンダ」設立。

・昭和39年 F1レースへ初参加。

・昭和46年 低公害エンジンCVCC発表。

・昭和48年 10月、本田技研工業社長を退任。取締役最高顧問就任。

・平成元年 日本人初の米国「自動車殿堂」入り。

・平成3年(1991年) 8月5日、肝不全のため死去。享年84歳。

■藤澤武夫氏の略歴

・明治43年(1910) 11月10日 生まれる

・昭和3年(1928) 3月 京華中学校 卒業

・昭和24年(1949) 10月 本田技研工業(株)常務取締役として入社

・昭和27年(1952) 4月 専務取締役に就任

・昭和39年(1964) 4月 取締役副社長に就任

・昭和48年(1973) 10月 取締役副社長を退任、取締役最高顧問に就任

・昭和58年(1983) 10月 同取締役を退任、最高顧問に就任

・昭和63年(1988) 12月30日 没 享年78歳

 

常に本田宗一郎氏を引き立て、しかも経営の基盤を作り裏から支えた藤沢武夫氏は昭和48年10月、本田宗一郎氏と共に惜しまれながらの引退。本田氏66歳、藤沢氏62歳の若過ぎる潔い引き際であった。

(猪本義弘)

本田宗一郎・藤澤武夫

1990年平成2年午年 本田家の年賀状  宗一郎さんの描いた馬の絵