みんなのホンダ資料館

TAMATECH

 

2009年9月30日PM8:00、惜しまれつつも閉園となった多摩テック。
多摩テックを愛した人たちからの思いがメッセージボードにつづられており、その中から園長が涙した手紙が日本テレビの『深イイ話』2010年10月11日(月)放送で紹介されました。自分もテレビを見ていて目頭が熱くなりました。

産経新聞の多摩テック閉鎖の記事(2009年夏)を紹介します。
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老舗の遊園地「多摩テック」(東京都日野市)が、この夏を最後に閉園する。高度成長時代から48年間、2世代、3世代の子供と大人に夢を与え続けてきた“乗り物の殿堂”が姿を消す。ここを支えてきた136人(7月現在)の従業員たちには閉園後、三重など他県の事業所への配置転換が待っているが、どんな思いで働いているのだろう。従業員たちの「最後の夏」を追った。

 親子連れでにぎわう夏休みの園内。今年の夏は、往時を懐かしむため訪れる大人の男性たちの姿も多い。

 一番人気の乗り物「アクロX」を担当する契約社員の出口謙治さん(30)は、長蛇の列に並ぶ子供たちを飽きさせないため、マイクパフォーマンスで盛り上げる。
出口さんは20代のころ、ボクサーを目指してジム通いを続けながら多摩テックで6年間アルバイトした。
その後一度は別の会社に就職したが、多摩テックで働きたいという思いを消せず、2年前に戻ってきた。
総支配人から全従業員に閉園の決定が伝えられたのは今年2月7日だった。「頭が真っ白になった。信じたくない気持ちだった。何度も来てくれるお客さんたちと、もう会えなくなるのが悲しかった」
閉園の後、契約社員を含む全従業員はグループ会社の姉妹施設がある三重県鈴鹿市か栃木県茂木町に配転されることになるが、出口さんは転勤する気持ちを固めていた。
「遊園地が僕の天職だと思っているから、行って自分を試したいと思った。だけど、地元で保育士として働いている妻の顔を見ると、わがままを通す気になれなかった」。出口さんは会社に慰留されたが、9月末の閉園と同時に退社することにした。
「今は、来てくれる人に最高の思い出を残してもらうことだけを考えている。こんな場所があったんだって覚えていてもらうために」。再就職先は未定だという。

 入社3年目の物販担当、中森清香さん(25)は三重県出身。会社に残ることにしている。「何人ものお客さまから閉園を惜しむ言葉をかけられて、愛着の深さを感じた。ここはそういう場所なんだなあって…」
中森さんは多摩テックの思い出を残してもらうため、限定グッズの写真立てを開発し、ショップに並べている。「今年の夏は一瞬です。一日は長いのに、いつもの夏より早く過ぎていく。だから毎日、新鮮な気持ちでいたい」

 プール担当の契約社員、村上瞳さん(25)は、子供たちと接するのが大好きで、4年前からここで働いている。立川市の実家を離れたくないので、9月いっぱいで退社する。「私も子供のころにここに連れられてきて遊んだ。とにかく最後の夏なので、プールを無事に成功させたい。就活はそれからです」

 園内の天然温泉施設の総料理長、三浦利明さん(42)は千葉県出身。浦安市のホテルで料理人として働いていたが、12年前、知人に誘われて千葉から転居し入社した。妻と子供が2人。「上の娘が来年、高校受験なので、当面は単身赴任で鈴鹿か茂木に行くつもりです」という。
三浦さんは園のグランドフィナーレに合わせ、地元の食材を使った感謝メニューを厨房(ちゅうぼう)の仲間と考案し、腕をふるっている。

 乗り物部門を統括する山上敏樹さん(51)は閉園が決まったとき、当時137人いた従業員のうち何人が最後まで残ってくれるかを心配した。だが、杞憂だった。これまでに退社したのは3月末で契約が切れた1人だけだという。
「会社に残る選択をした人の配転先もまだ未定だし、辞めるかどうかで揺れている人もいる。でも、スタッフたちの多摩テックへの愛を感じました」

 園内に設けられたメッセージボードには、来園者がいろんな言葉をサインペンで書き込んでいく。山上さんはこのところ毎日夕方になると、ボードにつづられた言葉を読みに行くのが日課になっている。
7月上旬のある日、ボードの前で涙をぬぐう山上さんの姿があった。そこには、こう書かれていた。

《 親と来た多摩テック


    恋人と来た多摩テック


        子供と来た多摩テック


           そして今、孫とここにいます。長い間ありがとう 》

山上さんは言った。
「私より深くここを愛してくれた人がいたことを知った。そんなお客さんたちや従業員たちに、思い出を心に刻んで語り継いでほしい。そのためにこの夏がある。そんな思いです」 

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私もたくさんの思い出があります。
48年間ありがとうございました。